大学は神奈川県横須賀市にある神奈川歯科大学に入学しました。
横須賀はアメリカの海軍基地がある軍港で佐世保に似た街です。
大学は朝9時から夕方の4時20分まで毎日授業と実習があり、特に実習は欠席すると留年のおそれがあるため、めったなことでは休むことはできませんでした。
大学1,2年は教養課程で、高校の授業の延長と歯科の基礎的な授業。3年からは専門課程に進み、5年の後半から1年間は大学病院に登院し、実際の臨床を学びます。
大学という名前はついていますが、歯科専門学校といったところです。
大学生になると、女子大学との合コンが毎週のようにあるのではと、密かに期待していたのですが、6年間で参加した合コンはたったの1回でした。
横須賀には神奈川歯科大学と防衛大学しかないのです。まさか防衛大学と合コンするわけにもいかず・・・。
クラブは大学1年の5月の連休に行った春スキーが縁でスキー部に入部しましたというか、入部させられました。5月にスキー?九州出身者には全く考えられません。夏は山形の月山で夏スキー合宿。理解不能です。
当時は今のようにスノボーなどなく、ユーミンの歌にもあるようにスキー天国でした。
あまり合宿には参加しなかったのですが、なんとか転ばずに滑れるようになりました。
夏休みには友人と旅行にも出かけ、大学2年の時には北海道を旅しました。
当時はあの松山千春が絶大な人気を誇っていて、車のカーステレオも松山千春オンパレードでした。
学生ですから経済的には余裕がないので、ユースホステルや映画館で夜を明かしたことも楽しい思い出です。
災害は忘れた時にやってきます。それは大学5年の時です。
元々釣りが好きで、釣り部の合宿に参加して三宅島に行った時のことです。
夜のニュースで長崎は大雨と報じていました。実家に電話したところプープープーと話中のコール。なんだ話中かと安心して、翌朝は早朝から釣りに興じていました。釣りを終えて、宿に戻り朝のニュースを見ると、なんと長崎が未憎悪の大雨。長崎大水害でした。急ぎ三宅島を離れ長崎に戻りました。東京から直接長崎に戻ったのか、福岡を経由して長崎に戻ったのか今でも思い出すことができません。
実家は裏の崖が崩れて半壊状態でした。両親は診療所から実家に帰ろうとしたのですが、あまりの雨のひどさで車が渋滞していたので、診療所に戻ったそうです。おかげで怪我もなく無事でした。
猛暑の中、水分を含んで重たい土砂を家族、親類と運び出しました。畳がものすごく重かったことを今でも覚えています。診療所の患者さんも多数犠牲となりました。本当に悲しい出来事でした。
大学の登院も何とか無事終了し、ついに卒業試験です。
私は肉体的には何の問題もなく健康ですが、精神的にちょっとナイーブで?・・・、神経性胃炎に罹ってしまいました。勉強を始めると胃がキリキリと刺すように痛いのです。試験中ですから勉強しないといけないのに勉強を始めると胃が痛む。これには本当に参りました。食事もろくにとれず、ヨード卵光を飲む毎日でした。
当然試験結果は悲惨なものでしたが、友人たちの助けもあり何とか卒業試験をパスすることができました。
これで歯科医師になれるわけではありません。次は国家試験に向けての勉強です。
午前中は大学で講義、午後は図書館で勉強、夜は時々社会勉強と結構勉強しました。
国家試験も自己採点で多分合格。不思議なもので胃痛も知らない間に全快していました。
さて、大学卒業後の進路についても少々悩みました。選択肢は次の3つです。
1. 一般開業医に勤める
2. 大学に助手として勤める
3. 大学院に進学する(4年間)
当初、歯周病科の助手を考えていたのですが、定員に空きがなく断念。所属していたクラブの顧問教授に「あんた、放射腺科へこんか」と声をかけていただきました。1学生が教授の誘いを断ることなどできるはずもなく、卒業後は大学院に進学することになりました。勿論、一応入学試験はありました。 |